>> [痴漢逮捕]日経子会社60歳専務が電車内で 2006年11月18日
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> 電車の中で痴漢をしたとして、警視庁神田署が日本経済新聞社の子会社「日経統合システム」の花輪契志(ひさし)専務(60)を都迷惑防止条例違反容疑で逮捕していたことが分かった。
>花輪専務は容疑を認め、17日に東京簡裁で罰金30万円の略式命令を受けて納付。辞表を提出し同社を退社した。
タイトル同様月並みな表現から入るなら、ついにここまできたか、といったところです。
今までの「犯罪者集団・日本経済新聞」代表選手は大方が若手、より意味合いを伝えるのなら「下っ端」の類でした。
しかるに、今回の花輪選手の場合は本社部長職まで勤め現在は報じられているとおりの肩書きにある、あった人物です。
この点からは、二つのことが読み取れましょう。
先ずは、新聞社自体が「犯罪者集団」であるというフレーズが、満更誇張ばかりではなかったということです。
そうですよねえ? 中枢社員がこうして犯罪者に名を連ねたのですから。
そして今ひとつは、過去に下っ端が起した犯罪について、新聞社は何らの反省もしておらず、口先だけの謝罪のみの無為無策であるということ。
はい、先に重役が犯罪を起し波及で子分が、というのではありませんもの。回り将棋よろしく、段々中枢に近い人物が犯罪戦士として名を連ねていく日本経済新聞社の現況は、近くトップの逮捕すらを予感させる体たらくです。
僕は今、逮捕と言いました。
誤解ないようにないように願いたいのですが僕は、新聞記者が、新聞社社員が逮捕されたらいけないなどとは微塵も感じてませんから、念のため。
いやそれどころか、ジャーナリズム、大いに逮捕者を出しなさい、と言います。
言います。言いますが、但しです。
これは、あくまでも本来のジャーナリズム活動に関連してということですから。
即ち、現行憲法における言論の自由は、必ずしも全ての言論を自由とするものではありません。
ですから、記者の行動は時には法規を逸脱することになるかもしれない。記事の内容とか取材方法がとかがですね。
いいではないですか? 記者たるもの、一度正しいと感じたならあくまでもその信念を貫くべきです。
逮捕・収監、大いに結構! そこまでの信念を持って記事を書きなさい。獄中から己が信念を訴えかけてこそ、記者たるものの本領発揮であると僕は思います。
日本経済新聞社関係逮捕者に視点を戻せば。
残念ながらです。今更言うまでもなく、彼らの起した(起したとされる)犯罪はいずれも、職務とは遥かにかけ離れたところに位置するものであります。
なんともまあ、浴びせかける罵言すら思いつかないほどの破廉恥犯罪…
それに関して憂慮する点を次に掲げましょう。
プロフィールに書いたとおり僕も新聞社に居ましたもので、ジャーナリズム体質と言うのを肌で感じた経験があります。
なんか、こう、権力と戦っているヒーローのごとき者になったような錯覚を起すんですよ。ああ、さっき書きましたか。
だから、逮捕や収監を心中ひそかに美化してしまう帰来にあるのです。それが、いかなる罪状であろうと、味噌も糞もいっしょくたに。
破廉恥犯罪に対する社内のバッシングが欠けている、少なくても他業種の企業に比して弱いのは、このためと言えましょう。
また、起きますよ。
この集団には自浄作用がない、いや、それ以前に各人のですよ。神経が麻痺しちゃってる、道徳観念なんて入社1年目で雲散霧消してしまうんですから。
まあ、そんな新聞業界の体質への嫌気もあって昨年退社し、現在はマゾ男を自称した風俗ライターめいたことをやって食いつないでいる僕です。
さて、表題は「~つける薬はないのか?」でしたよねえ。
うーん、これは非常に難しい。述べてきたように、新聞社・ジャーナリズムに身をおき、その禄を食んでいる以上、私情は内に秘めなければならない。個社員の道徳心や倫理観などは余りにも無力です。
更には日本経済新聞社も一新聞社に過ぎません。
なんでも終戦直後「いやしくも法の番人が、ヤミ米を食うわけにはいかない」と言って餓死した裁判官がいたとか。
これと同じく、日経新聞ひとり業界全体の流れに逆行したクリーン体質に転ずることなど不可能でしょう。所詮、自助努力などでは解決できることではありません。
そうです。マスコミにちやほやする社会の側にも問題があるんですよ。
今の腐敗体質をなんとかしたいならば、こうした赤裸々な姿をあるがままに捉え、社会全体の問題として社会全体が問題視するようになることが、必要にして最低限の前提となりましょう。
とりあえずのところ、「~つける薬」は見いだせそうにありません。
とは言うものの、これで終わってしまったら鼎の軽重を問われることになりましょう。
ひとつ妙薬候補をあげるとすれば、それはネットジャーナリズムの健全なる発展あたりでしょうかねえ?
このブローバンド時代、ツールの進化によって、誰しもが全世界に対し情報を発信することができます。
老若男女だれもが「新聞社」をやることが出来るのです。
そして、そこには既存権力もなければ伝統権威もない、純然たる実力勝負となります。
天下の日本経済新聞と言えども、一ネット人格と全く同じ土俵で勝負しなければならないのです。
もしネットジャーナリズムが理想的な形で進化したなら、犯罪者集団・日本経済新聞、こうした腐敗権力の足元を脅かすことにもなろうのですが、果たして… (了)